◆ 麻布十番の名所  ◆・・・


東京都港区麻布十番1丁目4番6
TEL.03−3583−6250
 

祭 神

倉 稲 魂 命
日 本 武 尊
市杵島姫 命
田 心 姫 命
湍 津 姫 命

ウカノミタマノミコト
ヤマトタケルノミコト
イチキシマヒメノミコト
タギリヒメノミコト
タギツヒメノミコト

 

平成 7年までの神社 。この鳥居は日本の喜劇王エノケンこと榎本健一さんの奉納、狛犬はコロンビアレコードの元祖アイドル歌手音丸さんの奉納でした。 狛犬は現在もありますが、鳥居は今は残っていません。
狛犬、鳥居落慶記念の写真等へ


例祭日・・・9月17日ですが、前後の土日に行います。 2010年は9月11、12日(土 ・日)、 宮神輿の渡御は12日(日)朝9時宮出しです。
由 緒・・・

元 末 広 神 社  麻布坂下町四十一 鎮座
元 竹長稲荷神社  麻布永坂町四十三 鎮座

両神社は昭和20年4月15日、戦災を受け諸建物ことごとく焼失しましたが、昭和25年6月土地区画整理により両社境内を現在の麻布永坂町48番地(現麻布十番1丁目4番5)に換地を隣接指定され移転し、その後両社を合併、神社名を「十番稲荷神社」と改称しました。旧社殿の鳥居は日本の喜劇王、地元出身の「エノケン」こと榎本健一さんの奉納でした。狛犬は戦前のアイドル歌手、やはり地元出身の「音丸」さんの奉納によるもので、現在も残されています。

社殿は平成
年に新たに新築され、平成 9年3月遷宮祭が古式ゆかしく華やかに挙行されました。(右)
 

↑写真拡大


末広神社
由 緒
慶長年間(15961615)の創建で、元禄4(1692)までは坂下町東方、雑式に鎮座されていましたが、同6(1694)永井伊賀守により坂下町41の社域に遷座されました。往古より境内には多数の柳樹が生い茂り、人々は「青柳稲荷」と称していましたが、その中の一樹で特に枝条が繁茂して自ら扇状をなす樹を人々は皆「末広の柳」と呼び、後には社名に冠して「末広稲荷」と称するようになりました。明治20(1887)4月、末広神社と改称されました。

竹長稲荷神社
由 緒
人皇52代嵯峨天皇の御宇、弘仁13年(823)、慈覚大師八咫(ヤタ)の神鏡を以て武蔵国豊島郡竹千代丘(今の鳥居坂上)に稲荷大明神をを勧請されました。その後、弘安元年(1280)、鳥羽氏により宮殿を再建され、寛永元年(1624)3月8日、永坂町43番地に遷座されました。

昭和12年2月、コロンビアレコードの音丸さんが
奉納した狛犬。後ろの銘板には当時の世話人の名が刻まれている。
戦後まもなくの狛犬、鳥居落慶記念の写真等へ

 



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絵馬拡大


 

十番稲荷神社は港区の七福神をみんな乗せた縁起の良い宝船の神社です。昔から伝えられる「蛙の御守」が有名です。(がま池の伝説をお読みください。)平成12年11月に新しい宮御輿が出来ました。秋のお祭りが楽しみです。

お子様の健やかな成長を祈るお宮参り、七五三、それぞれの節目のお参り、厄払、自宅新築の地鎮祭、落成式、結婚式・・・等々由緒ある十番稲荷神社へご参詣下さい。


 

 

 

 

 


2000年11月に新調された宮御輿 

 2010.9月12日の宮御輿渡御風景です ↑
 

桜満開の神社ぜんけいです
お守りの広告看板が大きくてちょっと・・・
右のビルが大江戸線麻布十番駅7番出口
左のシャッターは山車庫です

 お問い合わせ TEL.03-3583-6250



 

 

 

 

 

 ★都営地下鉄・大江戸線の7番出入口は、十番稲荷神社の社務所ビルにあります。トンネルを抜けると神社だったって感じです。
 

 


◆ 麻布十番の名所  ◆・・・

カ エ ル の 御 守 と が ま 池 の お 話

◆ 麻布七不思議+α  ◆・・・




 麻布本村町35番地(現港区元麻布2丁目7番地9)にあります。備中成羽五千石(今の岡山県西部)の領主、山崎主税助治正の屋敷跡、明治維新の後、渡辺国武子爵の邸となり、池もその所有となりました。美しい日本庭園の中に、広さ約500坪(1650u)の池、四面は深い樹林に囲まれ、いかなる日照りにも涸れたことがなかったと言われる豊かな湧水がありました。 その後、池は昭和8年周囲が分譲地となり、大部分が埋め立てられました。戦後もマンションの建設等で、現在ではわずかにその一部を残すのみになってしまいました。
 

明治時代のがま池がしのばれる
東京名所図会・麻布西町渡辺國武氏庭園蝦蟇池の図→

 がま池の名の由来

文政4年(1821)7月2日、麻布古川より始まった大火が山崎邸を焼かんとする折りしも邸内の古池から一匹の大蝦蟇が忽然と現れ、水を邸に吹きかけて猛火を退け山崎邸だけが火災よりまぬかれたのです。世の人々、この奇端を感じて山崎家にお守り札を乞う者が後を絶ちませんでした。このお守り札が「上の字様(ジョウノジサマ)」と称され、江戸時代には芝赤羽橋の有馬邸から出された水天宮の御守と並び称されたものです。

 お守りは「上の字さま」(ジョウノジさま)と呼ばれました。

「上の字様」は火傷、防火の御守として、文政4年(1821)9月より山崎家の執事、清水氏より授与されたのですが、清水氏が郷里に引き上げることになり、麻布の伝統に依るもの故、以後末広神社を通じて授与されるようにとの依頼により、昭和4年(1929)より末広神社にて「上の字様」が授与されることになりました。

 そして、今、「上の字さま」は

戦後一時期中絶されていましたが、前宮司石井氏のとき、昭和50年8月より現代の「上の字様」、『蛙の御守』として復活し、火傷、防火の御守としてだけでなく「カエル」の語音から『若かえる、幸せかえる、財貨得る、家得る、落し 物かえる、無事帰る、何でもかえる、・・・』等々広くそのご利益が信じられ、近年には蛙の石像も奉納され多くの奉納を見るようになりました。
また、社殿は平成8年に新築されました。


奉納された蛙の石像

 今、がま池が消えようとしています! (2001.4.)

500坪もあった蝦蟇池は、昭和初期に半分埋め立てられ分譲され、戦後もマンションの建設でわずかに残されるのみとなっていました。ところが最近そのマンションのオーナーが建物を売却、新たに建てなおされることになったようです。今、古いマンションの取り壊し工事がはじまり、新しいマンションでは蝦蟇池は埋め立てられるのではと心配の声が上がっています。前のマンション工事のとき全部埋め立てられるところを反対運動をしてかろうじて池の面影を残したのは、近所の外国人たちの運動でした。私たち日本人は大きな資本に対してあきらめと無関心でいるのではないでしょうか。
先日、町会の役員の方が反対の署名を集めに来られましたので、喜んで署名したところです。商店街の広報誌「十番だより」でも蝦蟇池を取り上げ、その事実だけを伝えていますが、利益ばかりを追求するのではなく歴史を守る姿勢を巨大企業にも求められてもいいのではないでしょうか。閑静な住宅地域に100メートルを越すビルを再開発の名のもとに造る企業の姿勢に、やはり無力感を覚えるのは私だけでしょうか。再開発ではなく、このHPのタイトルのように”Discover Juban”再発見、再保存を考えられないものでしょうか。再考を求めたいものです。


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 近隣の外国人による反対のポスターも見られます。
"Don't take away our sun woods and Environmental / Historical asset GAMAIKE spring!"

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 上から見たがま池。緑の木々の間から見える池には大きな鯉も見られるそうです。


マンションの中庭になり長い間一般には見ることが出来なかった「がま池」。今、取り壊されたマンション工事で久しぶりに見ることが出来ました。500坪もあったといわれる池は小さくなったとは言え豊かな水をたたえています。このような美しい自然、歴史的な資産をこれ以上削ってはいけないと思うのですが、利益優先の資本には勝てないのでしょうか。港区の資産として公園化するような道を考えられないのでしょうか。
(この3枚の写真は麻布学園のホームページに掲載されたものです。ご好意により転載させて頂きました。 2001.4.16.)


英文の反対看板、 To Sun Wood Corp.  "Don't take away  our Sun Woods - ”
業者の名前が株・サンウッドなんです。「陽の光いっぱいの緑の森と歴史的資産を奪わないで!…」
「サンウッド」とはよくつけたものですね。「サン」は太陽ではなく数字の「3」、三つの木、つまり「森」、それとも森の息子(son)で森の子会社?やはり彼の巨大資本が後ろで動いているんですね。どうです、いっそうのことポンと港区に寄付して公園を作ったら、きっと株が上がりますよ、ね。    (2001.4.)

 

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