赤い靴の女の子 きみちゃん
麻布十番未知案内 Home
◆ 赤い靴 目次 ◆・・・ Select... ・チャリティーのこと ・絵はがき ・はじめは18円でした ・七つの像 ・歌 詞 ・小学生用 ・ENGLISH ・野口雨情 ・雨情の詩 ・ユニセフから感謝状
誰もが知っている童謡「赤い靴」、この詩は大正10年(1921)に野口雨情によって書かれ、翌大正11年(1922)に本居長世が作曲したものです。この赤い靴の女の子にモデルのあることが明らかになったのは、昭和48年(1973)11月、北海道新聞の夕刊に掲載された、岡そのさんという人の投稿記事がきっかけでした。 「雨情の赤い靴に書かれた女の子は、まだ会ったこともない私の姉です」。 この記事を当時北海道テレビ記者だった菊地 寛さんは5年あまりの歳月をかけて「女の子」の実像を求め、義妹である岡そのさんの母親の出身地静岡県静岡市清水 区をかわきりに、そのさんの父親の出身地青森県、雨情の生家のある茨城県、北海道各地の開拓農場跡、そして横浜、東京、ついにはアメリカにまで渡って幻の 異人さん、宣教師を捜し、「赤い靴の女の子」が実在していたことを突き止めたのです。
女の子の名は「岩崎きみ」。明治35年(1902)7月15日、日本平の麓、静岡県旧不二見村(現 静岡市清水区宮加三)で生まれました。きみちゃんは赤ちゃんのとき、いろいろな事情で母親「岩崎かよ」に連れられて北海道に渡ります。母親に再婚の話がもちあがり、かよは夫の鈴木志郎と開拓農場 (現北海道、留寿都村)に入植することになります。当時の開拓地の想像を絶する厳しさから、かよはやむなく三歳のきみちゃんをアメリカ人宣教師チャールス・ヒュエット夫妻の養女に出します。かよと鈴木志郎は開拓農場で懸命に働きますが、静岡から呼んだかよの弟「辰蔵」を苛酷な労働の中で亡くし、また、開拓小屋の火事など努力の甲斐なく失意のうちに札幌に引き上げます。 明治40年(1907)のことです。 鈴木志郎は北鳴新報という小さな新聞社に職を見つけ、同じ頃この新聞社に勤めていた野口雨情と親交を持つようになります。明治41年(1908)、小樽日報に移った志郎は、石川啄木とも親交を持ったことが琢木の「悲しき玩具」に書かれています。 「名は何と言いけむ、姓は鈴木なりき、今はどうして何処にゐるらむ」
大正12年発刊の赤い靴の楽譜
雨情は明治41年(1908)に長女を生後わずか7日で亡くしています。おそらくそんな日常の生活の中でかよは世間話のつれづれに、自分のお腹を痛めた女の子を外人の養女に出したことを話したのでしょう。 「きみちゃんはアメリカできっと幸せに暮らしていますよ」。こんな会話の中で、詩人野口雨情の脳裏に赤い靴の女の子のイメージが刻まれ、「赤い靴」の詩が生まれたのではないでしょうか。雨情は 、また夭折した長女を「・・・生まれてすぐにこわれてきえた・・・・」と「シャボン玉」に詠ったと言われています。 後年、赤い靴の歌を聞いた母かよは、「雨情さんがきみちゃんのことを詩にしてくれたんだよ」とつぶやきながら、「赤い靴はいてた女の子・・・」とよく歌っていたそうです。その歌声はどこか心からの後悔と悲しみに満ちていたのです。
ヒュエット夫妻
ところが、赤い靴の女の子は異人さんに連れられていかなかったのです。母かよは、死ぬまできみちゃんはヒュエット夫妻(右写真)とアメリカに渡り、幸せに元気に暮らしていると信じていました。しかし、意外な事実がわかったのです。きみちゃんは船に乗らなかったのです。 ヒュエット夫妻が任務を終え帰国しようとしたとき、きみちゃんは不幸にも当時不治の病といわれた結核 に冒され、身体の衰弱がひどく長い船旅が出来ず、東京のメソジスト系の教会の孤児院に預けられたのです。薬石の効無く一人寂しく幸薄い9歳の生涯を閉じたのは、明治44年(1911)9月15日の夜でした。 きみちゃんが亡くなった孤児院、それは、明治27年(1894)に開設された鳥居坂教会の孤児院でした。 麻布十番に住む貧しい三人の子のうち一人が売られようとしているのを知った東洋英和女学校の生徒が、有志をつのり、その子と他の一人を引取って明治27年頃に開設したのが始まりでした。この子供のための施設は、はじめ麻布一本松にありましたが、明治37年に麻布本村町に孤児院として開設され、明治41年には麻布永坂町50番地へ移転、「永坂孤女院」とよばれました。昭和3年には「永坂ホーム」と改称ています。今、十番稲荷神社のあるところ、旧永坂町50番地に女子の孤児を収容する孤女院があったことは、「麻布区史」にも書かれています。 3歳で母かよと別れ、6歳で育ての親ヒュエット夫妻とも別れたきみちゃんは、ただひとり看取る人もいない古い木造の建物の2階の片隅で病魔と闘いつづけました。熱にうなされ、母かよの名を呼んだこともあったでしょう。温かい母の胸にすがりたかったでしょう。それもできないまま、秋の夜、きみちゃんは幸薄い9歳の生涯を閉じたのです。母かよがきみちゃんの幸せを信じて亡くなったであろうことが、ただ救いでした。 この街、麻布十番に眠ったきみちゃんを思うとき、赤い靴の女の子「きみちゃん」の心安らかなことを祈り、今、私たちの幸せを心から喜び感謝しなければならないと思います。 母と子の愛の絆をこの「きみちゃん」の像に託し、皆さまの幸せを祈って、平成元年2月28日(1989)麻布十番商店街はパティオ十番に「きみちゃん」の像を建てました。
◆ きみちゃん 佐々木 至 作 1989.2.28.完成 像 600mm 台座 700mm 頭部と足:ブロンズ 胴部分:赤御影石 台座:御影石
◇ 世界の子どもたちのために 今日も歩みつづけるきみちゃん
きみちゃんのお話は、それで終わりませんでした。像が出来てから、また始まったのです。 像が出来たその日の夕方、誰かがきみちゃんの足元に18円を置きました。それがチャリティーの始まりでした。1日として途絶えることなく、きみちゃんの足元には幾らかのお金が置かれました。麻布十番納涼まつりでは、きみちゃんの傍らにチャリティー広場が作られ、子ども達へのチャリティーを呼びかけました。あれから 22年、悪役俳優の山本昌平さん、女優の紅 理子さん、作曲家の横山太郎さんたちは毎年ボランティアでこのチャリティーを手伝っています。多くの人々に支えられたチャリティーの輪は、 22年間途絶えることなく続き、1円、5円、10円という小さな、けれどもとてもきれいな浄財の積み立ては、毎年世界の恵まれない子ども達のために全額ユニセフに寄付されてきました。 今年は2011.4.11.に東日本大震災の義援金として30万円をユニセフに送りました。昨年までに子ども達のためにユニセフに寄付された浄財は 1056万円、阪神大震災の義援金に70万円、スマトラ大震災の義捐金として60万円をユニセフニ贈りました。総額 1186万円にもなります。そして、今日も、途絶えることなくチャリティーは続いています。 明治35年(1902)生まれのきみちゃんですから、もし、今きみちゃんが生きていたら、もう100歳以上になっています。明治44年(1911)9月15日、9歳で亡くなったきみちゃんは、今も9歳のまま、私たちの心の中に生き続け、世界の恵まれない子ども達のために歩きつづけています。
★2006.7.10.財団法人 日本ユニセフ協会から感謝状を頂きました。 ユニセフホームページ http://www.unicef.or.jp/
←音符をクリックするとバリトン歌手山本健二さんの歌が聴けます。
きみちゃんは青山霊園にある鳥居坂教会の墓地に眠っています。
←青山 霊園の鳥居坂教会のお墓
墓誌上段に「佐野きみ」の名で 埋葬されています。→
←鳥居坂教会孤女院の食事風景です。 大正初め頃と思われます。
明治41年の鳥居坂孤女院→
(鳥居坂教会資料室蔵)
写真拡大 & 墓地
◆ 赤い靴 目次 ◆・・・ Select... ・チャリティーのこと ・はじめは18円でした ・七つの像 ・歌 詞 ・小学生用 ・ENGLISH ・野口雨情 ・雨情の詩 ・ユニセフから感謝状 ・Top
★「赤い靴はいてた女の子」 菊地 寛著、現代評論社。 最初にきみちゃんを調べた北海道テレビの菊地 寛さんの著書。絶版ですので図書館でお読みください。
★「赤いくつはいた女の子」 鬼塚りつ子著、小峰書店。 児童文学書として小学校中級以上向けに書かれた本。
★「赤いくつはいてた女の子」 綾野まさる著、ハート出版。 児童文学書として小学校中級以上向けに書かれた本。
このほかにも「きみちゃん」についての本はいくつかあります。 ★「唱歌・童謡ものがたり」 読売新聞文化部、岩波書店。¥2200. ★「童謡へのお誘い」 横山 太郎著、自由現代社。¥3500. ★「七つの子 野口雨情歌のふるさと」 古茂田信男著、大月書店。¥3800.
★2007.12.17.
11月23日に除幕された小樽の「赤い靴 親子の像」の作者 ナカムラ アリさんがきみちゃんを訪ねて下さいました。わざわざ北海道からとびっくり、感激でした。 小樽はもう雪の中、それでも親子の像を見に大勢の方が運河公園を訪れているそうです。 ありがとうございました。
◆ きみちゃん メモ
◆それぞれの記事・感謝状にリンク◆
2003.1.30.朝日新聞夕刊 「歩く・童謡の旅 C 赤い靴」 に 「時超える思い、誌に像に」できみちゃんのお話と横浜、静岡日本平、北海道留寿都の像が大きく紹介されました。
◆2002.TBS-TV 「王様のブランチ」、3月9日(土) 放送、朝9時50分頃〜、「きみちゃん 」が紹介されました。 朝9時55分頃〜 「23区港区の春と人情を探す旅」で「きみちゃん とチャリティー」が紹介されま した。
◆2002年は雨情生誕120周年 でした。茨城県磯原と東京で記念式典が行われました。 また、記念企画展が下記の要項で行われました。
●野口雨情生誕120年記念企画展 「天與童心」 −野口雨情からのメッセージ− ●会期 2002年4月19日(金)〜6月2日(日) 午前9時〜午後4時30分 ●野口雨情記念館 北茨城市磯原町磯原130−1 Tel 0293-43-4160 ●入場料 300円
★NHK衛星第2、 2001.8月17日放送 「 I T 王決定戦、高校生大会」 、高校生 3人一組 の出演で決勝まで残った、二組の決定戦 。問題の一つに
「1989年2月28日、ここで洋品店の山本さんが18円を見つけました。ここは?」 という難問が出題されました。 高校生達はパソコン、携帯などI Tを駆使して、 答えの「きみちゃんの像」までたどり着きました。 若い人たちのI T力にびっくりです。 大阪の清風高校が優勝しました。おめでとうございます。
「1989年2月28日、ここで洋品店の山本さんが18円を見つけました。ここは?」 という難問が出題されました。
高校生達はパソコン、携帯などI Tを駆使して、 答えの「きみちゃんの像」までたどり着きました。 若い人たちのI T力にびっくりです。 大阪の清風高校が優勝しました。おめでとうございます。
◆ 赤い靴 目次 ◆・・・ Select... ・チャリティーのこと ・絵はがき ・はじめは18円でした ・七つの像 ・歌 詞 ・小学生用 ・ENGLISH ・野口雨情 ・雨情の詩 ・ユニセフから感謝状 ・Page Top